よしもとばなな「おかあさーん!」

今週のお題「読書の秋」

 『デッドエンドの思い出』より、1作づつ大事に読んでいる短編集の2作目が「おかあさーん!」だ。すごいタイトルである。

弱っているひとの弱っている描写をこんなにも丁寧に、しかもフラットな目線で描けるのがすごい。

吉本ばななさんのお話は、直射日光のように強烈ではないんだけれど、根っこの部分に日向を好むような雰囲気があるので安心して読むことができるし好きだ。

 

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

 

以下引用。

 80p
 病院で寝ているときには全然わからなかったけれど、鏡の中の私は顔色がかなり悪く、そして、ものすごくだるかった。
 そのだるさを何にたとえたらいいだろうか、もう身もふたもないくらい、だるくて、精神的にずっしりと落ち込んでくるような感じだった。自分の体から、何にもしていなくても水みたいにエネルギーがどんどんこぼれていってしまって、ぐっしょりと濡れたぞうきんみたいなものだけが体のうちに残っている、そういう感じだった。

 

p92
 そうでなくてもなんとなく目の前が一段階暗くて、その暗い中にめくるめく勢いで現れてくるいい景色の迫力が私を圧倒した。
 きれいな緑や、海の満ち引きが、弱っている私には強烈すぎて、まぶしすぎて、苦しかった。
 ああ、すてきだなあ。きれいだなあ。でも早く帰ってふとんに入りたい。もう眠くないけれど、まぶしい光があたりすぎて、眠いような気持になってしまう。
 いつかまた、こんなすばらしい景色からエネルギーを受け取れるほどに回復するのだろうか? と私は不安になった。出口が見えない感じがしたからだ。

 

p96
 私は、はじめはとりつくろって何かしらを答えていたのだが、だんだん頭が真っ白になって、ろれつがまわらなくなってきた。言葉を出したいのに、どうしても口から言葉が出てこないのだ。私は言い知れないいらいらに襲われてきた。もう自分の体から、外に出てしまいたいくらいにもどかしかった。(中略)
 そして私は、飲んでいたお茶の茶碗をいきなりばんと床にたたきつけた。
 きれいだった茶碗は勢いよく割れ、その音が他の誰よりも私自身を、たとえようもなく傷つけた。
 茶碗が割れたことが、ただ悲しくて悲しくて仕方なかった。
 あんなにきれいだったのに、もう元に戻らない。時間も巻き戻せない、感情もいつまでも波立つことをやめない。(中略)
「もう質問されるのいやなんです、本当にいやなんです!」
 それはもうほとんど叫び声だった。
 しかしもう一人の自分は冷静だった。少し遠いところから冷や汗をかいてことのなりゆきを見守っていた。

 

p129
 でも、その夢は、全てを消してしまうような夢だった。私の本当の記憶、ぼんやりとしてよくわからない子どもの頃の、確かにあったはずのこわくて嫌な思い出をかき消すような、甘く優しい、真実味がある夢だった。(中略) 
 まるで秋に果実が実るように、ほんとうの思いがその夢にはあらわれていた。
 大丈夫、今の夢の中で、あの三人は永遠に生きているんだ。
 私の、本当の人生と同じくらいに確かに。
 私は涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになりながら、そう思った。確かにそう思った。

(「おかあさーん!」よしもとばなな『デッドエンドの思い出』)より引用

 

描写が美しいなと思うのは「結局のところ、りんごがそうさせなかった(p84)」のあたり、すごく好きだなと思ったのは「そしてそれからの私はすっかり大丈夫になった(p130)」という一文。
どちらも、それだけでこの話が読みたくなってしまうような可愛らしさがあり、それでいてとても吉本ばななさんという感じがする。

 

吉本ばななさんの夢の扱い方がとても好きだなあと改めて思った。

ちょうど、友達との幸せな再会の夢を見て起きた日だった。もう二度と会わないだろう友達の夢を何度でも見てしまうことを、淋しいとばかり思わなくていいんだよなあ。